カテゴリ: 政治

 そろそろ東京では都知事選の結果が出ている頃だろうか。午後6時現在の投票率が36.38%。前回より高いとはいえ、なんとも悲しい数字である。
 ベトナムでも5年に一度の国会議員選挙が今年5月22日に実施された。全国投票率はなんと98.77%。中部の都市では99.99%に達したという。なんで?

SaigonGP
                               
          (写真は、選挙翌日の共産党機関紙)
 そもそもベトナムは地方から都市周辺に短期で出稼ぎにきている人たちが多い。だからといってその人たちは選挙のために故郷に戻ることはない。期日前投票もない。というのになぜそんな高投票率が確保できるのですか。教えて、ベトナムのエライ人!

 どうやら以下が実情ではないか、と。ベトナムでも投票所で有権者カードを見せて投票用紙を受け取るが、その際に身分証明書を見せる必要がない。よって、実際には家族やらによる代理投票が横行している。さっそく若い人5人に聞いてみたが、ひとり投票しなかったとモゴモゴしておりました。Masako san,他の人には言わないでね。言ってない。でも書いた。ゴメン。
 さらに地区ごとの選挙管理委員会が成果を問われるため、投票所に来てない人がいると委員がその家に足を運びドアをドンドンたたく。いないなら代理投票でもいいと催促される。
 投票時間も原則朝7時から19時なのだが、100%投票が達成できそうにないとなると、朝5時から21時まで委員会の裁量で自由延長できます。日本の前回の参院選では、終了は20時なのにその1時間前に投票所を閉める町があったと聞いている。なんという違いだ。
 
 選挙日前後の外国人向け英字新聞に、北はハノイ近郊から南はメコンデルタエリアまでのランダムに選んだ有権者20人のコメントが載っていた。面白いことに、自分はもう高齢だが新しいベトナムを期待したいから若い候補者に投票すると答えた60,70代が多かった。18歳(ベトナムの選挙権は18歳から)から30までの人たちも、自分たちの世代に投票するとコメント。
 不思議といえば、誰も候補者の政策については言及していなかったこと。ベトナムでは、事前の選挙運動は一切なし。放送も微々たるもの。学校や病院のロビーといった公共の場所などに張り出される候補者一覧と略歴を見て判断するしかないんだそう。一部の家には(日本の新聞に折り込まれるような)一覧表が送られるというが、ウチでは見たことがないよ、とのこと。まあ共産党の一党独裁だし、人によって政策が違ってはならないから当然といえば当然なのか。
 最終結果が公表されるのは6月11日、と投票日の5月22日からかなり経過してから。当然日本のような出口調査もない。まあ、いろいろと不思議なんですが、誰も何も言わない。
 
 さる7月20日選出された494人の新国会議員が国会に出席した。テレビのニュースでちらっと見た印象では女性議員率30%といったところか。年齢については、40-50代が多いように見えた。

          
国会 jpg
              ©Saigon Giai Phong
      
 目立ったところでは、議長が女性のグエン・ティ・キム・ガン氏。美人である。私のブログを読んでいただいているかたには、オバマと一緒に魚に餌をやっている女性 (YouTube の0'26"を参照)と書いた方がいいだろうか。念のためお写真も。
         
images653460_ChutichQH

 と書いているところへ、東京から小池百合子さんが都知事当選という知らせ。
 さてどうなるんでしょう。若い世代に希望を持たせる世の中にしてほしいなぁ。


 ヤァ!ヤァ!ヤァ!オバマ大統領がベトナムにやってきた。エアフォースワンから降りて、夜まっさきに向かった先がハノイのブンチャー屋さん。素敵だなあ、オバマ。ハノイの人の心、鷲掴みにしましたね。

 ブンチャー(Bun Cha)とは、ハノイが誇るローカルフードの一つ。フォー(Pho)ほど有名じゃあないけれど、ワタクシ個人的にはこちらの方が好きで、週に一回は食しております。ホーチミンにもお店がある。ブンチャーは一言でいうとベトナム風つけ麺。
 Bun Cha Masako
ゆでた米麺のブンをニョクマム(魚醤)ベースのタレにつけて、豚肉や葉っぱと一緒にいただく。この肉、バラ薄切りと豚のつくねを炭火で焼いたもので、意外といけます。チャーコールでじりじり炙った肉からでる汁が滋味を醸し出すのです。って、ブンチャーの話になると止まらなくって。すみません。

 CNNで見たベトナム特有のプラスチック椅子に座ってブンチャーを食べるオバマの姿が強烈すぎて、翌24日の昼、パブロフの犬状態の私はよく行くブンチャー専門店を訪ねました。そこで目に入ったものは、ベトナム人の行列。安くて人気のある店ではあるんだけれど、行列とはねー。たぶんこの日、ベトナム中のブンチャー屋さんは繁盛したはず。オバマ・エフェクトその1。

 ようやく席につけました。でもなかなか注文を取りにきてくれない。給仕が茶髪の女性二人だけでしかも動きが新人っぽい。人手が全く足りないもんだから、男性客数人が自発的にブンの入った皿を取りに行っては届けたり、お箸を洗ったりしている。私のところにも持ってきてくれました。ベトナム男性は働かないと言われますが、何かが起きると、さりげなく実に献身的に動きます。この”何かが起きると”が重要なんだけど。ともあれ、働くベトナム人男性。オバマ・エフェクトその2。

 いつもは冷房の効いている室内に案内されるが、その日は室内が異様に混み合っていたので、オープンエアの方に、って単に屋外(笑)のテーブルに座っておりました。10分くらい待った頃、急に突風が吹いた。午後1時過ぎ。ザーッと効果音まで聞こえましたよ。激しい風で、地面に落ちているゴミやストローがテープルに飛んでくるわ、葉っぱが一枚顔にあたって私は派手なクシャミをしでかすわ、道を歩く女子のスカートがめくれるわ(本当ですよ)、クライマックスは給仕の女子が数人分のブンと葉っぱの乗ったトレイをひっくり返しドンガラガッシャン。まあ賑やかなこと。弊社の社員も別の場所にいて突風にあったことをfacebookに挙げていた。某筋によるとちょうどその頃、オバマの乗った大統領専用機がホーチミンのタンソンニャット空港に到着していたらしい。嘘のようだが、風と共にオバマ。オバマ・エフェクトその3。

 オバマがホーチミンにいた2日間、弊社の社員もずっとオバマー、オバマー(なぜかベトナム人が発音するとマーと長くなる)と言っていた。かくいう私もとある仕事で、 オバマがブンチャーを食べているTシャツという企画を出したらスタッフの一人が「Masako-san,それはすでに市場にあるから実現可能だ」という。で、販売先のWebsiteを見てみたら、そのTシャツはすでにSold Outである。動きが早すぎるぜ、ベトナム。その時、別のスタッフが「Masako-san, オバマが使ったといってもっとブームになっているものがある。それはオケだ」という。え、オケ?BBC Vietnameseの映像の26”あたりをみて欲しい。魚に餌付けをする時の桶である。ベトナム女性の一部でカワイイと人気らしい。桶。オバマ・エフェクト4。
*元のBBC Vietnameseのfacebook投稿までたどり着くのが大変なので、誰かがYoutube に挙げたものを貼っておきます。元投稿はすでに340万viewで9100コメント付き。他のネタより多いです。
 
 オバマ大好きベトナム人。ホーチミンのあちこちにまだベトナム戦争時代の戦車や米軍の飛行機が見受けられるのに、なぜこんなに純粋に喜べるのかなと思ったが、訳もない。国民平均年齢が27歳。ハノイで、ホーチミンで目をキラキラさせながらスマホを掲げるほとんどの人たちは、ベトナム戦争を知らない世代だ。そしてベトナム人特有の、悪いことはなかったことにしようという視点。それがいい意味でも悪い意味でも機能しているのではないかと。

 まるで好感度アップするだけのために来たオバマのようだが、実はかなりのビジネスマンぶりを発揮している。ベトナムの格安航空ベトジェットは、ボーイング社とボーイングB737 100機の購入契約を締結。契約額は113億USD(約1兆2300億円)で、米越間の貿易に関する契約としては過去最高額である。締結にはオバマとチャン・ダイ・クアン国家主席が立ち会った。
Vietjetむべなるかな。オバマ・エフェクト5。(手前が有名なベトジェットの女性社長。立っているのはお偉いお二人。不思議な光景)
 
 その他にもいろいろな取引が成立したが、ここでは書かない。私は専門家ではないので。ただかなりの額とだけ記しておきます。気になる方はこれを読んでね。因みにこの先の取材はできなかったらしい。
 
 さて、オバマがブンチャーとビールを一緒に堪能したおじさんは、BourdainといってCNNにParts Unknownという旅番組を持っていて、旅好きの人にはそこそこ知られている。元はマンハッタンにあるBrasserie Les Halls というフレンチビストロのシェフ。2000年以前なら「意識してなかったけどこのレストラン行ったことあるかも!」という日本人は意外といると思う(私もその一人だ。笑)。ま、彼とオバマの食事風景と対談が、9月から始まるParts Unknown のSeason 8初回に使われるのだそうだ。どうりで周りの客が平静だったわけだ。CNNですら、オバマ・エフェクトを利用する。

 

 カンボジアのプノンペンを訪れた。ポルポト時代のキリングフィールド Killing Fieldについて知りたかったから。むかしアンコールワットを観光した際に4日間ドライバーをしてくれたハイという青年が、クメールルージュがいかに残虐だったか、でもクメールルージュのNO2が道路を舗装してくれたなどと合間あいまに話してくれたことが、能天気娘のどこかアタマの片隅に残っていたせいか。なにせホーチミンからプノンペンはカタール航空で40 分。近い近い。
 
 クメールルージュという名前だけ聞くと、CHANELから出る口紅の新色みたいで優しい印象を受けるがとんでもない。ちょっとだけおさらいすると、クメールルージュはカンボジア共産党の別名で、1975−79年の4年間に”完全な共産主義国”を建設するために猛威をふるい、大量の知識人ひいては国民の4分の1にあたる200万人を虐殺したグループのことだ。

 で、Killing Fieldに行ってみた。正式名チュンエク大量虐殺センター。一見のどかな野原をヘッドフォンをつけた外国人たちがのんびり歩いている。(ニワトリものんびり)
Killing Field
しかしヘッドフォンから聞こえるのは、淡々と語られる虐殺のプロセス。ポイントポイントで適切な解説が流れてくる。高度なドキュメンタリー。30代の初めにワシントンのホロコースト記念博物館に行ったとき、豊かな映像素材と写真がおりなす演出に圧倒された。たぶんそれと真逆の、引き算展示がKilling Field。むしろこちらの方が聞き手の想像力を刺激するのかもしれない。映画「Killing Field」を観たときと、全く違う印象。興味のある方はプノンペンを訪問することをおすすめする。

 クメールルージュ党首ポルポトが出した指令の中で一番印象に残ったのは、手のやわらかい人と眼鏡の人を殺せということ。手がやわらかい=労働者でない。眼鏡をかけている=勉強した知識階級である。知識階級は”古い人”であり、彼のめざす農業主体の共産主義国、自分に逆らわない新しい人でつくる国には邪魔だったということだ。学校、病院、工場を閉鎖。銀行業務どころか貨幣まで禁止してしまい、子どもたちに医者をさせたり農業をさせたりしたが、どっこいこれが機能するはずもなく、国自体が飢饉となり破綻の道をたどった。

 このポルポト、カンボジアの裕福な農家で9人兄弟の8番目として生まれた。20歳のときにフランス政府から奨学金をもらってパリに留学。電子工学を学んだものの、途中フランス共産党の集まりに顔を出すようになり共産主義思想に洗脳されていく。成績がいまひとつで3年で放校された。最終的には毛沢東を崇拝していたという。
 
 元インテリがどういう経緯で、失敗への道を邁進したのだろう。共産主義への批評はさておいて、ポルポトが尊敬する毛沢東はやはり偉業の人だと思うのだ。ポルポトの生き様をイマ風にたとえると、優秀な人を使うことのできないダメなリーダーの典型だったのかなあなどと思いを巡らせたりする。

 ちなみにポルポトの写真は以外と少ない。彼の下にいた虐殺センターの責任者カン・ケイウは意外とイケメンで写真をプノンペンのあちこちでみたのだけれど(まだ存命。35年の禁固刑を宣告されている)、potなぜかポルポトのは一つしかなかった。もしかしてポルポトは自分の外見にコンプレックスでも持っていたのだろうか。推測でしかないけど。Killing Fieldとペアで見るべきもう一つの施設トウールスレン虐殺博物館(通称S21)でポルポトを発見したが、銅像の頭部でしかも床に放置されていた



 
 


(カン・ケイウ)

    ポルポト
                      (放置されたポルポト)

 ホーチミンで通うジムに、ひとなつっこく話しかけてくる従業員がいる。私が機械をガチャンガチャンやっていると、側にやってきてソニーとサムソンのスマホはどちらがいいかとか、いかにホーチミンでプロテインが入手しにくいかなど東京の人のような話をするので、そういうクラスの人だと思っていた。先日「マダム、いつも運動しっぱなしでしょ。ストレッチをしないとダメですよ。僕がやってあげます」とマットを床にしいてストレッチしてくれた。それ自体はありがたかったのだが、彼の手、つまり手のひらまでもがガサガサだった。そういう手に触られたのは生まれて初めてだったので、正直驚いた。ごめん。ベトナムも奥が深い。


↑このページのトップヘ