カテゴリ: フィリピン

 今日はレイバーデーでお休みです。明日は朝が早いので、昼間に白いワインを頂いたりする。おつまみにいいのが、まずこれイーサウ(ISAW)。フィリピンで有数のストリートフードです。

ISAW

日光のいろは坂のごとく波々とカーブしています。なんだと思います?なんと鶏(町によっては豚)の腸の串焼き。腸ですよ、腸。はじめ臭いんじゃないかと思ったら、裏表ひっくり返して何度か洗うから清潔であると。で、茹でる→串刺し→炭焼きの過程をたどります。生の玉ねぎとスパイスを入れた酢をつけると、なお美味しい。

 先日4本のムービーを納品した際、プロダクションのルーフトップでお酒と一緒にイーサウを初めていただきました。ぷにっとした食感と不思議な味に戸惑う私の表情が可笑しかったようで、クライアントもフタッフもゲラゲラ笑ってましたが、気がついたら私は4本も食べていた。まだまだ初めてのものが世の中には沢山ありますな。
 
 おつまみにいいものその2。フィリピン名物チチャロン(chicharon)。豚の皮を油でカラッと揚げたもの。文字だけ見ると重そうなんだけれど、これがポテトチップ感覚でイケるんです。

チチャロン

 もとはと言えばスコットランドでシングルモルトウイスキー探求の旅をしている際に、バーのおつまみとして袋ごと出てきたものでした。ブランド名はMR.PORKY。 その後ベトナムやタイでも豚の皮の唐揚げスナックを見つけたけれど、味と軽さ加減が微妙に違う。
 
 そしてついにフィリピンでMR.PORKY の味に再会。ただスコットランドで食べたものよりは、ガチでデカイ。フィリピンはなんでもたっぷり食べるお国柄なので良しとしますか。お好みによって酢をつけると、脂を食べるという罪悪感が薄まります。
 
 ところでこのチチャロン、メキシコやパナマにもあるらしい。ふーん。世界地図を広げて観た。どうやら北緯9度線を通る国にはあるのかなどと推測したりする。インド、ガーナ、スーダン、エチオピア、コロンビアにもあったら面白い。世界チチャロン博覧会でも開きますか。あまりもニッチすぎて観客は少ないと思うけど。

 去年12月1日に新しい5ペソ硬貨が登場した。貨幣にはフィリピンの革命家であるアンドレア・ボニファシオの顔が見える。彼の誕生日11月30日の翌日から流通し始めた。
   
 これがねー、ホント、全く歓迎されていない。というのは1ペソ硬貨と似てしまったから。

コイン

 左の金色が今までの5ペソ(汚くてすみません)。真ん中が新しい5ペソ。右が現在の1ペソ。大きさも重さもほぼ同じなので、間違いなく間違える。だからみんなハンカチ落としのように受け取った途端に自分の財布から排出したがる。買い物して155ペソの支払いになったとします。で、私が
「あ。5ペソ持ってます」
といって205ペソを渡そうものなら、レジの人に
「NO, マーム。私はこんなに5ペソを持っています。間違えちゃうから、早く使い切りたいの」
と透明のシールでまとめられた5ペソ20個を何束も見せられる。合計額が合わないと彼女たちの給料から引かれてしまうんだそうだ。
 
 ネチズンたちの間でも「小さいから、簡単にだまされちゃう」と悪評高い5ペソ、上院議員のNancy Binayさんも「国民に混乱を生じさせている」として、一時的に新しい効果の流通を停止するようにフィリピン中央銀行に要請した。「中央銀行は、デザインについてもっと考えるべきだった」と。
 
 なぜもっと考えないのか。これは私も日頃思い当たることがある。比較をする、タイムラインを計算する、リスクを考える、が、ここではあまり一般的ではない。
 
 そもそもボニファシオ生誕154年記念なので新しい硬貨にしたというのが理由らしいが、なぜ155や160年じゃないのか。あと一年考えればいいのに。ま、たぶんこれは日本人的発想、要は何年でもいいのである。実際街中を歩いていると店頭に73年記念やら、22年記念やら、あちこちに周年記念のサインを見かける。とにかく前向きで、祝う口実を常に探しているのであろう。一種のマーケティングと考えれば、ま、腹も立たない。
 
 こっちに来た当初、1ペソの代わりに韓国の100ウォン硬貨を受け取ることがよくあった。

コイン2
        (左がフィリピン1ペソ。右が韓国100ウォン)
 
 マニラ周辺は韓国人が結構たくさん住んでいる。初めは「あー、やられた」と思って素早く自分も使ってしまったものだが、よく考えると1ペソ(2.2円)より100ウォン(10円)の方が価値が高いじゃないか。そう気がついたら、受け取る機会が少なくなってしまった。

 そういえば100ウォン硬貨、日本で一時期500円硬貨と間違えられていましたね。いま日本で500円硬貨や2000円札はどれくらい流通しているのだろう。ひょんなことから日本が懐かしくなった日曜の午後。

 
 

 

 
 

 急に三連休になったので、Manilaから車で1時間Marikina という靴の街に行ってきました。正確にいうと、あのイメルダ夫人の靴コレクションがあるミュージアムがあると聞いて出かけたら街中で靴作りをしているMarikina にたどり着いた、が正しい。行くまでは街の名前すら知らなかったから。

 ご存知のように、イメルダ夫人は昔フィリピンで20年もの間大統領だったフェルディナンド・マルコスの奥さん。ま、ファーストレディです。 革命でマラカニアン宮殿を追放された後、彼女の3000足の靴と6000着のドレスは国家財産の私物化を象徴する光景として全世界で大々的に報道された。まだインターネットもない時代だったのに、鮮明に覚えているのは私だけではないのでは。

 実は私、イメルダ夫人には親近感を持っておりまして。その昔バブルという時代があった頃、お恥ずかしいことに私は靴マニアであった。ハイヒール、ブーツを中心に200足は持っていたと思う。今は旅芸人の身分なのでそういうわけにもいかないが。はて。そんな馬鹿娘に対して母が「あなた、ムカデやイメルダじゃないんだから、いい加減に靴、整理しなさい」と言い放ったこともあり、イメルダ女史には近しいものを感じるのでありました。

 街の中核に鎮座するミュージアムMarikina Footwear Museum (市のリンクにはShoe Museumと表記してあるが、入り口にはFootwear と書いてあった)、個人宅のように見えますが、スペイン占領下時代の元兵器庫。銃を保存していた場所でした。入場料50ペソを払って踏み入れると、ちんまりとした空間に靴を作る工具、不思議な足型ツリー、不気味な人形、そして待望のイメルダコレクションが。
足型
レプリカ
          (何か持たせてほしい。怖い)

 2階を占領するコレクションには、緑、パーティー用の金銀、ベージュ系、そしてコレクションの役半分を占める黒いハイヒールが見事に飾られてあった。600から700足保存しているイメルダ夫人の靴を年に数回展示替えしているらしい。
ImeldaCollection

 手入れの行き届いた靴を覗き込むとシャルルジョルダン、ブルーノマリ、バリー、ディオール、シャネルなどのブランドが目につく。確かにこのあたり、1980年代に流行りました。50%が有名ブランド靴で、50%がMから始まる2−3の知らないブランド。「これ、どこの靴ですか?」と尋ねると待ってましたとばかりにミュージアムの係員が答えてくれました「これがMarikina のブランド。イメルダ夫人は、Marikinaの偉大なアンバザダーでいてくれたのです」。実際、海外行脚や国際行事にはいつも彼女はMarikina 産のハイヒールを履いていたという。そういえば日本の某防衛大臣もいつも出身地(福井県)特産のメガネかけてましたっけ。政治家は大変だ。
Imelda足型
      (ミュージアムの外にあったイメルダの靴の型。ハリウッドの手形を意識?)

 Marikinaの靴の街としての最盛期は1980年代だったらしいが、今も作り続けていて、靴の街という称号は今も変わらない。柔らかいゴム製のフラット靴や男性用の作業靴は廉価で需要があり、ブラジルのハワイアナスによく似たMarikina産ビーサンは安価で履きやすい。

 マニラから運転してくれているドライバーが「Maam(フィリピンでは、女性への敬称としてマームを使う)、世界一大きい靴を見たいですか?」と聞く。Yesと答えたら、街の外れにある靴売り場が大半を占めるショッピングモールに連れてってくれた。モールの片隅に、巨大な紳士用のウイングティップが飾られていた、いや放置されていたというのが正しい。誰も気がつかないであろう世界最大の革靴。
世界一の靴
       (横の売り場から女性の靴を拝借。どれだけ大きいのか!)

 「なぜ、あなたはこういう情報を知っているんだ?」とドライバーに尋ねたら「このモールは元靴工場で、自分の父親がここで靴を作っていたんです。だからわざわざ来てくださる人には教えたくて」照れながら、つぶやく。そういえば彼が紹介してくれたレストランは、フィリピンにしては珍しく、マッシュルームのスープやポークチョップという名のカツレツといったきちんとした洋食(!)を食べさせてくれる老舗であった。
 
 なんか知られていないことだらけで、もったいない。靴の女王イメルダにも、理由があった。Marikinaは考えさせる街でありました。

 

 前回のブログからかなりあいてしまいました。年も明け、新天地でもようやく落ち着いてきたのでまたツラツラ書いていこうと思います。

 金曜の夜、在フィリピン日本大使館の新年祝賀レセプションに行ってきました。日本人会に登録している人から抽選で出席者を選ぶとのことでしたが、日本大使館とマニラ日本人会とフィリピン日本人商工会議所の共催のせいか、背広にネクタイの方が圧倒的に多かった。庭園にいらっしゃる方まで含めれば楽に300人は出席していたのではないか。マニラにこんなに日本人いたんかい!と突っ込みたくなりましたよ。女性のドレスコードは着物あるいは民族衣装指定。さすがに着物は持参していないしベトナムのアオザイを着るものなんだし。結局黒のセミロングフォーマルで参加、まあこの程度で正解。ブラックフォーマルを着るのは2年前のNew York以来だ。ま、マニラにはハレの場があるということがわかっただけでも、よろし。

 さすがに日本大使館だけあって、お寿司に蕎麦にお雑煮、お汁粉だの日本食がテーブルに勢揃い。どこも長い行列ができていたので食べるのは諦めて、ひたすらワインを飲んでおりました。あ、お煮しめとカニ酢はいただきました。懐かしい味でほっこり。お、気がつくとステージ前に日本酒の樽があるではないですか。「世界の花」?SMAP?いやいや、違いますな。とにかく飲んだことがないお酒。
世界の花


 樽に近づいて、まだありますか?と係の方にうかがったら、あっという間になくなったとのこと。会場近くで渋滞に巻き込まれたため、オープニングに行われた羽田大使らによる樽酒の鏡開きを見損ねてしまったようです。そうそう樽酒の蓋を木槌で叩いて割ることも、鏡餅を割るのと同様に鏡開きと言います。豆知識。

 「世界の花」は島根の石橋酒造が造るお酒。幸運にも味わえた方に聞いたら「旨かったー」とのこと。くー。次に機会があったらぜひ試したいものです。ちなみに世界の花/大吟醸は、雑誌BRUTUSの日本酒特集号で、ワイン評論家ロバート・パーカー(よく89点とか93点とか採点しているおじさま)が200本強から選んだ15本の日本酒のひとつに選ばれていました。ますます飲みたくなるじゃないか。

 いつのまにか大使館ネタから日本酒ネタになってしまいましたが、よかったら今年もよしなしごとにお付き合いください。続きを読む

 今フィリピンは雨季です。特に9月は台風のたまごである熱帯低気圧がフィリピンの近くで生まれるため、台風に遭遇し、いくつかの街は洪水になります。それもごく当たり前のイベントとして。

 9月10日から13日にかけてはフロリダを襲ったハリケーンIRMAが、CNNを始め世界のニュースを席巻。暴風雨と避難令を受けて市内から脱出する車の群れを映像では延々と追っていました。

 ちょうど同じころフィリピンも台風に襲われました。12,13日と私はフィリピンのデジタル広告賞の審査に招かれており、会場までたどり着けるかどうか不安でした。朝5時から会社のViber(フィリピンでは公私ともにViberがLINEのように使われています)が鳴りっぱなし。社員の住むエリアの降雨状況がシェアされて、朝7時に前には弊社グループ全社員に在宅勤務通知が出ました。

 その時Viber上に頻繁に出てきたのがこのフレーズ。”Stay safe and dry"。なんか感じがいいと思ったんですね。不安を煽ることもなく、快適な状態を祈ってあげる空気感がいい。

 ちなみに私が滞在するエリアは雨の被害が少なく、出勤を控える人が多いせいで道路はガラガラ。普段1時間かかる距離を20分で審査会場に到着しました。お住いのあたりが洪水になってしまい、開始時間に間に合わない審査員も数人いた。一日中Viberに送られてくる市内洪水情報を見ては、Knee deep(膝下水位)やThigh deep(太もも半ば水位)に「ひゃー」と驚く私。それを広告賞主催者たちが見ては、そんなことで驚いているのかとばかりに笑っておられました。
洪水情報2

 日本でも同じころ台風が接近していたようで、私のfacebookのタイムラインやTwitterには、飛行機が飛ばないから帰れない、交通網が乱れている、会社に定刻に行けないなどのコメントが並びました。

 13日夜、テレビをCNN, こちらの民放、NHKと見比べて思ったのは、フィリピン明るい。前向き。 この画面みてくださいな。もう楽しんでいるようにしか見えない。

洪水テレビ

 定時運行が守れないことを強調する日本と、木が倒れて家が潰れたため泣く夫婦を映すアメリカと。おそらく被害状況はあまり変わらなかったかもしれないのに、報道一つでずいぶん印象が変わるなあと。

 今日はパキッと青空が広がり、ショッピングモールも家族連れで大賑わい。
 Stay safe and dry. いい言葉だな。あれから何度も反芻しています。
マニラ青空

 

  

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