カテゴリ: アジア

 黒かったバンコクから帰って一週間。いま一度飛んで行きたいなあと思う場所があります。それはthe COMMONS. 日本人駐在員の多い閑静な住宅街トンロー(Thong Lo)地区にこの2月誕生した新型モール、いやコミュニティー。

 中目黒のように新しい家具の店やカフェが並ぶスクンビット55通り(
ซอย สุขุมวิท 55)から細いソイ(脇道)に入って2分、コンクリート打ちっ放し(懐かしいね)の不思議な空間が目に飛び込んできます。 木の階段が劇場スタイルで上と下に展開されており、みんなその階段に座ってはお茶を飲んだり、ワインを飲んだりして。各フロアに服のブティックやフィットネス空間、カフェもあるのですが、どうやら購入したものを好きな場所で飲んだり食べたりしていい模様。上のフロアには、あぐらをかいてMacBookを睨みながら仕事をするお洒落タイボーイがいました。

 建物の一番奥の隠れたところにエレベーターはあるけれど、メインは階段。移動する際に空間を眺めなれるように設計されている。バンコクおなじみ巨大ショッピングモールの百分の一ほどしかないスペースなのに、開放感と充実感があるのは、歩きながらすべての構造が見渡せるからかな。各フロアにも緑の樹々が植えられていて、光合成できそう。カフェやレストランの従業員までタイ人にしてはサラサラした感じの人が多いせいか、代官山にいるような錯覚を起こしました。キッズカフェもありましたよ。

 the COMMONSのオーナーもコミュニティーを志向しているらしい。場所や、飲み食いするものを提供しますから自由におしゃべりしてどうぞ好きな時間をお過ごしあそばせ的な。実はオーナー、タイで人気のカフェROASTのオーナーでもある。そんなわけで最上階にあがりハーブガーデンとベンチを抜けていくとROASTが出てきた。コーヒー好きならぜひLungo(いわゆるロングブラックコーヒー)を試してみてください。じっくりローストされた豆から滲み出たガツンとthe coffeeな味がします。あー、書いててまたバンコク行きたくなってきたぜ。ここベトナムもコーヒー美味しいんですけどねー。
ROAST


 有名なマガジン調メニューをめくる限りでは、食べ物もとても美味しそうでした。隣の女性二人は、パパイヤのサラダとローストチキンとデザートをがしがし食べている。すでに
スクンビット55通りを歩きながら屋台のもの(牡蠣オムレツ、卵やきにバナナ包んでコンデンスミルクと緑のパンダンクリームをかけたやつ、鳥の手羽揚げたの、カップに入ったパパイヤサラダ)をたらふくつまみ(どれだけ食べるんだ!と突っ込みたいあなた、いまタイ、おすすめです)、一階のビアカフェThe Beer Capでエールビールを飲んでいたため、お腹いっぱいでコーヒーしかトライできませんでしたが、また行く。口実ができた。わはは。建物内のワインショップで買ったボトルをその場で開栓しての食事もOKらしい。行く。

 当然ながら、プミポン国王の遺影も飾られてました。うーん。タイは奥が深い。
 
プミポンcommons

  

 社員旅行でバンコクに行ってきました。プミポン国王が逝去されたので国内の混乱が予想され延期を主張するスタッフもいましたが、中止するのはタイの経済によくない(私は過去にタイのSARSやら政変やらで支障を経験済みなのです)ので決行。いつもと違うバンコクを見ることができました。

 バンコク黒い。 なにもかも黒い。

  
 行きの飛行機でタイの新聞を開く。半分くらいが遺影つきのお悔やみ広告でした。

写真 2

どれも端正にデザインされてある。ずいぶん前から準備していたのでしょうか。各社のご苦労が身に沁みます。目を引いたのは次のお悔やみ広告。写真好きで キヤノンを愛用していた国王の一面を知っていたのでしょう。
写真 1
地味に目立っていました。これがもしキヤノンのお悔やみ広告ならちょっと洒落ている。かすかにぼけたロゴが見えます。タイ人になんて書いてあるのか尋ねてみようと思っていたが、忘れちゃった(どなたかわかる方がいらしたら、教えて下さい)。気が付いたら新聞のインクで手が真っ黒。慌ててCAにお手拭きをもらいました。

 「バンコクに来るなら地味な格好で来てね」とタイ人から言われていたので、黒白グレーの服だけで訪問。確かに8割がた黒かった。ときどきチェックや柄物を着ている人がいたら、それは外人観光客。
 なお服喪期間は一般の人で一ヶ月、政府関係者は一年とのこと。もともとカラフルな服を好むタイ人だから、黒い服は需要があって売れるだろうなと思ったら、まさに。泊まったホテルが市内のはずれ、Bobae Marketという服の卸市場のど真ん中に位置していたため、商売ぶりを早朝から目撃。黒い Tシャツ、ポロシャツ、チュニックの様々なデザインがどの軒先にも並んでいる。一枚80−180バーツ(240円ー540円)。業者がやってきては大量に買い込んでいた。これを中心街で200−500バーツ(600円ー1500円)で売りさばくのだろうな。
 どれくらい黒いかは市民の皆さんの着こなしでご覧ください。

thai people5
                                          国鉄バンコク駅前でバスを待つ人たち。

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                                           スカイトレインの乗客。これは夕方ごろ。
 
 昨日10月22日は早朝から王宮前に人々が集まってお別れをしていました。
Palace
                                                            ©REUTERS/Athit Perawongmetha

                                ちょっと寄ってみましょう。

thai people2
   

 在位70年と4ヶ月。数々の事件や政変を国民と乗り越えて、そして誰よりも愛されたプミポン国王。お疲れ様でしたという言葉はあまりにも軽いかもしれませんが、本当にお疲れ様でした。
ご冥福を心よりお祈りします。合掌

 プノンペンの道路を走る3台に1台がレクサスだった(注:筆者の皮膚感覚です)。
プノンペン美術館

 Why Japanese Lexus? 厚切りジェイソンではないが、ご存知のようにレクサスはトヨタが誇る高級車である。日本で買っても400万から上位クラスだと1000万円超だというのに、なぜ一人当たりの年収が1100ドルのカンボジアでたくさん走ることができるんだろう。

 滞在中カンボジア人数人に聞いてみました。「だってトヨタは壊れないし、信じられる」それはわかる。世界中そう思ってますよ。でもさ、なんでレクサス?「なんでだろう?まずセダンよりは、大きいクルマがいい。仕事に使えるから」 うーん、まだ納得できない。

 よく観察してみるとSUVクラスのRXや、LXしかもLX470が多い。
lexus Cambodia
しかも2000年前後にみたようなゴロッとしたタイプであります(オタクですみません)。そもそもこういった中古車をどこで買うのか?アフリカだと個人業者から、ロシアだと犯罪がらみでトヨタのバンを買うことがあると聞いたことがあるけれどプノンペンの場合、その比じゃあございません。もっと大胆な組織でないとこの台数は無理です。

 答えは意外なところにありました。所有者である氷屋のおじさんはトヨタのショールームで買ったとおっしゃる。3万USDで。この周辺国の水準からすると、安い。調べてみるとトヨタカンボジアでは、中古車レクサスをショールームで展示し販売しているらしい。より安くクルマを買いたいという消費者の願いと、きちんとメンテナンスのされてないクルマを売る不正な販売業者に対処するためである。カンボジアは、左ハンドルなのでレクサス大国アメリカからの中古車がちょうどいい。ちなみにベトナムでは、北のハノイでNewモデルのレクサスをたくさん見ることができます。ナンバープレートから判断すると、党の人たちが所有者ということになります。余談ですが。

 さて。レクサスが溢れるほどカンボジアは金持ちの国になったのか。経済成長に伴い中間層は増えているし、金持ちも確実にいらっしゃる。ある晩ホテルの人に紹介してもらった隠れ家レストランに行ってみた。実に美味。ただ周りから聞こえてくる言葉は、中国語であった。北京語と広東語?とっても暑いのに、赤ワイン開けてるし。カンボジアも美味しいとこは華僑が牛耳っているんだなあ。

 プノンペン市内をドライブしていてもう一つ気になったのは、軽トラックの荷台に立ったままで運ばれていく女性たちの姿。黒髪の人やヤンキーっぽく金髪にした女性たちが30人くらいひしめいている。まるでドナドナだ(わからない方はググってくださいね)。写真を撮ろうとしたが、荷台のひとりの女性と目が合ってしまった。撮るのを止めた。工場で働く人を運んでいるトラック。私がプノンペンに着く1日前に、このトラックが横転して死亡者と怪我人がかなり出たと現地の英字新聞で読んだ。
 
 カンボジアには学校で習わない、いや習えないことがたくさんある。
 

 
 
 

 カンボジアのプノンペンを訪れた。ポルポト時代のキリングフィールド Killing Fieldについて知りたかったから。むかしアンコールワットを観光した際に4日間ドライバーをしてくれたハイという青年が、クメールルージュがいかに残虐だったか、でもクメールルージュのNO2が道路を舗装してくれたなどと合間あいまに話してくれたことが、能天気娘のどこかアタマの片隅に残っていたせいか。なにせホーチミンからプノンペンはカタール航空で40 分。近い近い。
 
 クメールルージュという名前だけ聞くと、CHANELから出る口紅の新色みたいで優しい印象を受けるがとんでもない。ちょっとだけおさらいすると、クメールルージュはカンボジア共産党の別名で、1975−79年の4年間に”完全な共産主義国”を建設するために猛威をふるい、大量の知識人ひいては国民の4分の1にあたる200万人を虐殺したグループのことだ。

 で、Killing Fieldに行ってみた。正式名チュンエク大量虐殺センター。一見のどかな野原をヘッドフォンをつけた外国人たちがのんびり歩いている。(ニワトリものんびり)
Killing Field
しかしヘッドフォンから聞こえるのは、淡々と語られる虐殺のプロセス。ポイントポイントで適切な解説が流れてくる。高度なドキュメンタリー。30代の初めにワシントンのホロコースト記念博物館に行ったとき、豊かな映像素材と写真がおりなす演出に圧倒された。たぶんそれと真逆の、引き算展示がKilling Field。むしろこちらの方が聞き手の想像力を刺激するのかもしれない。映画「Killing Field」を観たときと、全く違う印象。興味のある方はプノンペンを訪問することをおすすめする。

 クメールルージュ党首ポルポトが出した指令の中で一番印象に残ったのは、手のやわらかい人と眼鏡の人を殺せということ。手がやわらかい=労働者でない。眼鏡をかけている=勉強した知識階級である。知識階級は”古い人”であり、彼のめざす農業主体の共産主義国、自分に逆らわない新しい人でつくる国には邪魔だったということだ。学校、病院、工場を閉鎖。銀行業務どころか貨幣まで禁止してしまい、子どもたちに医者をさせたり農業をさせたりしたが、どっこいこれが機能するはずもなく、国自体が飢饉となり破綻の道をたどった。

 このポルポト、カンボジアの裕福な農家で9人兄弟の8番目として生まれた。20歳のときにフランス政府から奨学金をもらってパリに留学。電子工学を学んだものの、途中フランス共産党の集まりに顔を出すようになり共産主義思想に洗脳されていく。成績がいまひとつで3年で放校された。最終的には毛沢東を崇拝していたという。
 
 元インテリがどういう経緯で、失敗への道を邁進したのだろう。共産主義への批評はさておいて、ポルポトが尊敬する毛沢東はやはり偉業の人だと思うのだ。ポルポトの生き様をイマ風にたとえると、優秀な人を使うことのできないダメなリーダーの典型だったのかなあなどと思いを巡らせたりする。

 ちなみにポルポトの写真は以外と少ない。彼の下にいた虐殺センターの責任者カン・ケイウは意外とイケメンで写真をプノンペンのあちこちでみたのだけれど(まだ存命。35年の禁固刑を宣告されている)、potなぜかポルポトのは一つしかなかった。もしかしてポルポトは自分の外見にコンプレックスでも持っていたのだろうか。推測でしかないけど。Killing Fieldとペアで見るべきもう一つの施設トウールスレン虐殺博物館(通称S21)でポルポトを発見したが、銅像の頭部でしかも床に放置されていた



 
 


(カン・ケイウ)

    ポルポト
                      (放置されたポルポト)

 ホーチミンで通うジムに、ひとなつっこく話しかけてくる従業員がいる。私が機械をガチャンガチャンやっていると、側にやってきてソニーとサムソンのスマホはどちらがいいかとか、いかにホーチミンでプロテインが入手しにくいかなど東京の人のような話をするので、そういうクラスの人だと思っていた。先日「マダム、いつも運動しっぱなしでしょ。ストレッチをしないとダメですよ。僕がやってあげます」とマットを床にしいてストレッチしてくれた。それ自体はありがたかったのだが、彼の手、つまり手のひらまでもがガサガサだった。そういう手に触られたのは生まれて初めてだったので、正直驚いた。ごめん。ベトナムも奥が深い。


 いやはやプレミアリーグファンには、世の中に確実なことなどない!と断言できる一年でした。レスターが優勝するなんて。Chelseaサポーター歴の長い私ですが、去年の9月までLeicesterという単語を知らなくてイギリス人に「ここんところ勝ち続けているLeicesterって、どう発音するの?」と聞いておお、我らが岡崎選手の所属するレスターだと気がついたんですよ。ゴメンなさい、岡崎さん。
 
 5月3日早朝。Chelsea - Spursの試合を後半から観ました。Spursはこの試合に勝てば今シーズンの優勝も標的内なのでファウルも辞さない必死の攻めでしたが、Chelsea頑張った。レスターの監督ラニエリは元Chelseaの監督だったから、自分たちは勝てない今シーズン、どうせならSpursよりChelseaに勝たせてやろうぜ的マインドがChelsea選手にもサポーターにもにあったのかもしれませんね。不調と言われていたアザールのゴールが、レスターの優勝を決めたのもよかった。

 早朝からBBCそしてCNNまでもトップニュースが、Chelseaの単語から始まるレスターのミラクル優勝。画面タイトルにFOXESとあるのは、レスターのロゴキャラクターにあるキツネからの愛称です。
僧侶

 さて見出しにもあるように、なぜタイ人が喜ぶか。について考えてみました。 私、レスターというチームに関しては知らなかったけれど、KING POWERのユニフォームについては認識がありました。ChelseaやManchester City, Manchester Unitedの試合を観ていてその対戦相手が着ているユニについてるロゴとして認識していたというのが正しい記述かな。
th-2(写真は、岡崎が今年3月見事なオーバーヘットを決めた直後のもの)
このKING POWERは、タイ一の免税店を運営する会社です。バンコクのスワンナプーム空港を利用する方にはおなじみのブランドですな。因みに社長のヴィッチャイ氏はタイで4位のお金持ち(2016 Forbes調べ)。

 私の支持するChelseaもタイのSINGHA BEERがスポンサーの一つ。ロンドンのStamford Bridgeで観戦するときはいつも「なんで寒いロンドンまで来て、シンハビール飲まなくちゃいかんねん?」とブツブツ言いながら飲んでます。

 じつは元首相のタクシン氏も2007年にManchester Cityのオーナーになったことがあった。2006年9月の軍事クーデターで失脚したタクシン氏は、タイで圧倒的な人気を誇るプレミアリーグのクラブのオーナーとなることで、タイ国民への影響力を維持することを狙ったのです。残念ながらこのオーナーシップは1年で終わっちゃいましたが。

 タイにおいては、国内で何かをするよりプレミアリーグにお金をかける方が、よほどブランドイメージ管理に役立つということ。それほどタイ人はプレミアリーグを観ているということでもあります。テレビで取材を受けている僧侶まで、レスターの優勝を喜ぶなんてなんか面白いでしょ。エロやバイオレンスでは届かないところまでカバーできる
超優良コンテンツ。

 ちなみにKING POWERでお金を一番使っているのは、中国人(昔は日本人だったなあ。遠い目。この旧ロゴは見覚えありのかたも多いのでは?)。king-power-logo
中国人のお金がタイを経由してレスターをプレミアリーグを支えて、最後にタイ人がハッピーになるとは経済の皮肉、いえ素晴らしささえ感じます。

 釣りではなく、カバー写真は、大英帝国が誇る元イギリス代表ゲイリー・リネカー。若いころレスターでプレイしていました。昨年12月彼がBBCでコメンテーターを務める番組で 「もしレスターが優勝したら、来季の最初の番組にパンツ一丁で出演する」と言ったもんだから、このどこぞのコラ職人が手がけたビジュアルが今になってイギリスのSNS内で話題です。リネカーも彼自身のTwitterで後悔?してますね。いやあ、期待したい。
 
 レスター、世界中を沸かしてくれました。ありがとう。adidasじゃないけど、
Impossible is Nothing.


 

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