カテゴリ: art & culture

 今年のアカデミー作品賞を『ROMA/ローマ』でなく『グリーンブック』が受賞したと知った時、一昨年「え、『ラ・ラ・ランド』じゃなくて『ムーンライト』?なにそれ?」と思ったのと同じ感情が甦った。さらにいうと『ムーンライト』は私には重たくて、観ているうちにどんどん心にオリが溜まっていく映画だったので、なおさら警戒心が増した。

 しかし『グリーンブック』を観たら、そんな気持ちはたちまち吹っ飛んだ。実によく出来ている。人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカの話なのだが、単なる白人vs黒人の構造を超えて、ピアニストである黒人が野蛮な白人を知的に導く一方で、黒人に降りかかる様々な困難を海千山千の白人が一つひとつ解決していく、なんとも痛快なロードムービーに仕上がっている。
 

 そう、これはロードムービー。ピアニストであるDr.シャーリーが演奏旅行のためアメリカ南部を移動する。当時黒人は公共交通機関に乗る自由はなく、乗れたとしても差別や迫害を受けるため、ある程度お金を持った黒人は自家用車を持つ。その運転手を勤めたのがイタリア系移民のトニー。彼が2ヶ月間ハンドルを握るのが、ブルーのキャデラック。これが実に色っぽい。行き着く街ですれ違う車も全て流線型のシボレーインパラやらコルベット。アメリカ車がいちばんカッコよかった時代。
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 収穫の終わった麦畑や黄色く色づく樹々をすり抜けて、車は街から街へと移動する。アトランタ、ナッシュビル、メンフィスと、名作『風と共に去りぬ』に出てくるような南部のお屋敷がタイムトリップさせてくれる。映画タイトルとなったグリーンブックとは、自動車で旅行する黒人を対象に発行されていた旅行ガイドブック。1939年ハーレムの郵便局員グリーン氏が始めたことからグリーンブックと呼ばれた
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            THE NEGRO MOTORIST の文字が
これに載っているホテル、レストランなら黒人でも大丈夫という、地球の歩き方的サバイバルガイド。Dr.シャーリーとトニーが泊まるモーテルやドライブインでColored Allowed, Colored Onlyといった表示がさりげなく映されると、差別の事実がじわじわくる。駐車場で飲み食いして騒ぐ黒人たちを、ちょっと離れた位置に椅子を置いて眺め、カティーサークをちびちび呑むDr.シャーリーにまたじわじわくる。

 
Dr.シャーリーを演じたマハーシャラ・アリは綺麗な英語を話し、スーツやタキシードも板についている。あの『ムーンライト』で、なんちゃってベルサーチを着てヘラヘラしていたドラッグディーラーと同一人物とは思い難い。トニーについては、誰だこの歳くったクセのある役者は?と思っていたら、なんと『ロード・オブ・ザ・リング』のアラルゴン、ビゴ・モーテンセン。
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ビゴ・モーテンセン
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         手紙の書き方を教えるDr.シャーリーとトニーこと黒髪のモーテンセン
髪を黒く染め、20kg太った。ロバート・デニーロかい!とツッコミたくなる。さらなる驚きは監督だろう。『メリーに首ったけ』などコメディーを得意としてきたファレリー兄弟の兄ピーター・ファレリー。もう意外だらけなのだ。


 この映画が作品賞を獲ったことについては、批判やいろいろな意見があるようだ。典型的な白人目線の映画、黒人差別のダークさが足りない、オスカー向きの教訓垂れ流し...でも私は素晴らしい作品だと思っている。まず差別のバラエティを今まで以上に理解することができた(YMCAで、Dr.シャーリーと白人男性が裸で捕まっていたのは、おそらく同性愛のゆえであろう。何の説明もなかったが)。それ以前に生きる上で大切なことーーウソをつかない、ものを盗まない、ゴミを捨てない、契約は守る、暴力はいかん、間違った権威をかざすものには伝家の宝刀を使ってよい、困った時は助けを求めていいーーが、嫌味なくユーモラスに描かれているからだ。2時間強で何度声をあげて笑ったことか。子供の時に、こんな映画に出会いたかったよ。

 そうそう。見終わると、手書きの手紙をもらいたくなる、ケンタッキーフライドチキンを食べたくなること請け合います。

 
 
 

 全米で大ヒットを続けている『クレイジー・リッチ・アジアン』を観てきました。原作はシンガポール系華僑ケビン・クワンが書いた「CRAZY RICH ASIANS」。ちょうど一年前、フィリピンに着任したばかりでやることがなくウロウロしていたら、本屋で売り出し中だった物語。
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本の表紙とホテルでのイベント予告(2017年8月)

日本ではなぜか『クレージー・リッチ』というタイトルになるようですね。正直アジアンを取ったら意味がない。それくらいThe Asianな映画なのに、なぜだろう。

 ワーナー、つまりハリウッドの制作でありつつ主要キャストが全員アジア人。これは1993年にエイミー・タンの麻雀女性小説『ジョイラッククラブ』が映画化されて以来。それくらいハリウッド制作方式から外れている作品なのです。映画終了後のエンドクレジットを座席に居座り最後までシカと確認しましたが、見事に全員アジアンだった。でも映像はウエスタン。GUCCIやベルサーチの衣装はユニクロのように普段着で出てくるし、ロールスロイスやaudi、シャンパンがぽんぽん登場します。かつて『ジョイラッククラブ』がいかにも中国系の色を使って映像を作っていたのとは、ちょっと違うかな。

 テーマが玉の輿結婚ゆえアジア版『プリティーウーマン』かと思いきや、女性のキャリアと中華系家族のくびきが織り込まれる。華僑のキャリア志向の女子が観ると、なかなかエモい映画と思われます。

 日本人の私が観て何が一番気になったかというと、主人公をシンガポールに連れて行く御曹司役ヘンリー・ゴールディングが、もう東出昌大にしか見えない。長身、ソツのない感じ、ちょっと耳にカサっと張り付く声、以後東出クンと表記します。
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そして東出クンとその金持ち友人たちの、ツルッと無毛の上半身裸でお腹くっきり6パックの露出が多い。これはアジア系男性を欧米女性に売り込むのにかなり効くはず。ちなみに東出クンことゴールディングは、元BBCの旅番組のレポーターをしておりました。

 アメリカおよびアメリカ人の実態をおちょくっている点も、新鮮。プライベートヘリを数台飛ばすシーンが、明らかに『地獄の黙示録』のパロディー。あの名作の要とも思われるシーンを、笑いにする。主役がパーティーに着ていく服を試着する際に水色や紫といったゼリービーンズカラー満載の、はっきり言ってダサいドレスが登場。そこで「スキットルじゃないんだから」というセリフが出てくる。そして長年使われているタグライン” Touch the Rainbow, Taste the Rainbow "をダメ押しで言わせる。スキットルはアメリカ人にとってミルキーのような存在。それをアジア人がコケにするのはどうなんですかね。さらなるダメ押しで、爽やかな東出クンが飛行機の中で荷物をあげようとしているアメリカ人男性のワキ汗染みを観て顔をしかめるカット。西欧vs東洋の縮図(大げさか)を見ているようで、ねーさんはハラハラしました。


 なお私の好きなミシェル・ヨーが東出クンのお母様として主役の女性をいびり倒す役を演じています。
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    かつてのミシェル・ヨー
『007トウモローネバーダイ
』のセクシーなボンドガールの面影はもうなく、危うく嫌いになりかけましたよ。最後にミシェルと主人公に麻雀対決をさせるのは『ジョイラッククラブ』へのオマージュなのか(詳細はネタバレになるのでここまで)。でも年相応に美しかったと記しておきます。

 読後感としてはこの映画を観るとシンガポールに行きたくなります。ミシェランの味が屋台で食べられるホーカーセンター、セントーサ島、マーライオン、そして植物園ガーデンズ・バイ・ザ・ベイとお約束のマリーナベイサンズがこれでもかと刷り込まれる。実際シンガポール政府観光局は、この映画をプロモーションに利用し始めた様子。かなりのシーンはマレーシアで撮影されたという皮肉な現実はあるけれど。原作者のケビン・クワンはシンガポール育ちなのに兵役(男性はNational Service と呼ばれる徴兵または消防/救急に2年従事しなければならない)を逃れていたため訴追されると囁かれておりますが、これだけシンガポールを売り込んだのだから、免除してよいのでは。私がリー・クワン・ユーなら、そうします。

 ちなみに『クレージー・リッチ』続編も制作されるはず。ミシェル・ヨー以上に私の目を釘付けにした女優ジェンマ・チャン(彼女については、また後日)が、最後に思わせぶりなシーンを見せます。それを見逃さないでね。
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ジェンマ・チャン。劇中ドレスが素晴らしい。

 

 とにかくたまげた。アンソニー・ボーディンがフランスのホテルで亡くなったと。原因は自死。ちょうど数日前デザイナー ケイト・スペードがうつ病が原因で自死したというニュースが駆け巡ったばかり。アメリカのTVはうつ病ホットラインの告知を番組の終わりに付けまくっている。

 ボーディンがどういう人なのかピンと来てない人のためにちょっとだけ説明すると、CNNでParts Unknownという世界B級グルメ番組を持っている元シェフだ。ちょうど2年前オバマがベトナムに来た時、ボーディンと一緒にハノイでベトナム名物ブンチャーを食べた時のことを拙ブログに書いている。
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  この写真に見覚えのある方も多かろう。ボーディンは身長190cm。オバマが小さく見えます。ベトナム特有のプラスティック椅子、なぜここでは赤じゃなく青なんだろう。世界各国の、現地の人が食べるみんなが知らないUnknown なものを白髪のボーディンが果敢にトライする映像が見たくて世界中にファンがいる。私もその一人だ。

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          ハノイで「喧騒の中で食べるのがうまい」とボーディン
   今回の訃報を受けてFacebook やTwitterに流れてくるボーディンにまつわるポストや論調を手当たり次第に目を通していく。ん?「Kitchen Confidential」? この本なら私、読んだことある。正確にいうと読みかけたことがある。私はくいしんぼうなので、美味しいレストランの話や食事がうまそうに書かれている本が好き(ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズは、探偵ものというよりグルメ+恋愛ものとして読んでいた)。「Kitchen Confidential」も2001年、その流れで購入した。

   本の中で  ”ブランチは避けよ” ”月曜の魚は避けたほうがいい” ”ムール貝は食べてはいけない”など、自分の好物がことごとく否定されていく。しかも厨房を経験した人の筆で書かれるからリアルったらない。途中でこれは知らないほうがいい。私は自分の意思で食べると決意し、私としては珍しく読むのを放棄してしまった本である。まさかその著者がボーディンだったとは。

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 そんなわけで、昨日一日かけて「Kitchen Confidential」を読み直してみた。いや、感覚としては初見に等しい。今回はボーディンの生きざまとして目に、脳みそに、ガンガン踏み込んでくる。彼が食に目覚めたきっかけは、幼少期Queen Mary 号の特別二等食堂で出されたヴィシソワーズが美味しくて、しかも記憶に残る味だったから。オフクロの味とか、慣れた味とかそういうレベルではない。一人の人生を決めてしまう食事に小学生の時に出会ってしまい、それを自覚しつ続けたことが凄いではないか。

 大学を出てから人とは違う料理人になるためにCIA(と言ってもみなさんが想像する方ではなく、米国料理学園のこと) に通う。ここまでなら素晴らしい経歴に見えるが、ドラッグやSEX に明け暮れるシェフたちに刺激されて、レストランを多数ホッピングする。イタリアのマフィアに雇われる、人をクビにすることを半端なく経験する。彼が救うレストランあれば、潰してしまったレストラン多数。命の危険を感じたときは、マーロン・ブランドの映画「波止場」を思い出して引き際を自覚する。おかげで流れで「波止場」を流れで観てしまいましたよ。iTunes 、いや、ボーディンありがとう。あなたのおかげで私はちょっと賢くなった。

 ボーディンの母親 Bladys BourdainがThe New York Timesに語ったことによると「私にとって彼は、世界で一番こんなこと(自死)をしそうにない人間」だと。ちなみに母親 は元New York Timesのライターだったので、ボーディンの記事はNew York Times がかなりの数でカバレッジしている。

 不思議なことがある。数年前東京を離れる際に、私は段ボール100箱分の本を処分した。海外生活には本当に好きな本しか持ってきていない。なのに、なぜ私は途中放棄した「Kitchen Confidential」をそのセレクションに入れたのだろう。そして今、私はようやくこの本を咀嚼できている。読んで落ち込むと思ったが、ページをめくるごとにお腹が空いて仕方ないので、ワインを飲みながらリブステーキ肉の筋を切って塩コショウをしている。

 




 
 
 

 先日、機内で 'Darkest Hour' というタイトルにつられて映画を観ました。スティーブンキングっぽいホラー映画と思ってたら、これが話題の『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(以下『チャーチル』)。気がついたのは開始から10分ほど経ってからか。どんだけうといんだ、私。

 日本を離れてから、あまり事前調査をしなくなりました。所有すること、縛られることに興味がなくなったこともある。自分の知る情報から動くと開拓範囲に限界が出てくるから、未知のものにあえて触れることを本能的に選んでいるのかもしれません。

 言い訳はさておき、
『チャーチル』地味に(褒めてます)いい映画だったな。朝っぱらからシャンパンやウイスキーをあおって仕事をするので、国王に何度も諌められるチャーチルにはクスッとさせられたし、黒と茶色のアートディレクションが効いているのもよかった。あらすじは、第二次世界大戦初期のいわゆる’ダンケルクの撤退’に至る数日間の出来事。

 覚えてます?去年日本でヒットした『ダンケルク』なる映画を。クリストファー・ノーランが脚本を書いて撮った『ダンケルク』は、これから階段を駆け上がっていくだろうと思われる若手俳優たちが沢山出ていてイギリスとフランスとドイツの軍服がカッコよくて実に眼福な映画でした。もちろんドイツ軍によってダンケルクという街に孤立させられた33万人のイギリス兵が民間のボランティア船によって助けられる=撤退する物語も圧巻。ただ何故そうなったかの解説は一切なくて、5日間でいかにこのダンケルクの撤退が実行されたかを陸と空と海の3象限から淡々と撮った映画でした。
 
 『チャーチル』は、ヒトラーが望んだ和解策をチャーチルが悩みながらも断って ’ダンケルクの撤退’に踏み切ったかを、ひとこと一言に味があるチャーチルのセリフと閣僚たちの思惑を表情ドアップで丁寧に切り取ることで描ききった。時折インサートされるドローン撮影がその他の人たちの心情を表現するスパイスになっています。
 
 話の芯になっているのは、チャーチル専属女性タイピストとチャーチルのやりとり。彼の普段からのひとこと一言がもう作文というか演説そのものなので、時にタイピストがため息をついたりします。実際、チャーチルは作文がとても上手だったらしい。これはチャーチルのメイクでアカデミー賞メイクアップ賞を受賞したメイクアップアーティスト辻一弘さんの記事から事後に知ったのだけれど、チャーチルは公爵家に生まれ、当時の由緒ある家庭がそうだったように家族から離されて育てられたので、両親に自分の存在を証明しようと乗馬や水泳、作文に一生懸命になった、と。
 
 辻さんはハリウッドでメイクアップアーティストとして活躍していたが、2012年に一旦引退、現代美術家として著名人の頭像を作っていらっしゃる。しかし今回チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンからのリクエストにより、これ限定で特殊メイクを担当。その際チャーチルを再現するために内面や魂を取り込もうとドキュメンタリー映像やオーディオブックを聞き込んだ。その結果がこれです。
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                                                                   (before)
                
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                                                                    (after)

オールドマンがこのデブっとした御大だとは。私は映画を観た後、指摘されてやっと気がつきました。うとくてすみません。ちなみにオールドマンがチャーチルに扮するにあたり、200時間以上メイクに費やしたそうです。

 チャーチルが喋るシーンは横顔から撮影されているカットが多く、口元から言葉がほとばしる勢いや喉の繊細な動きがわかるんです。辻さんがここまで計算されていたのかどうかはわかりませんが、私の中では’作文’を起点に一つの線に繋がって、ひとり静かに感動してしまった。

 個人的にツボだったのは、チャーチルがピースサインの向きをタイピストのアドバイスで変えるくだり(詳細はネタバレになるのでご確認を)。
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(現役時のチャーチル。ピースサインが大好き)
そしてヒトラーになびくか戦うかで、一人地下鉄に飛び乗り庶民の意見を聞くところ。後者は、気がついたら私泣いてました。あのチャーチルにしても、決めるのはさぞ重圧だったんだろうなあ。

 『ダンケルク』からの『チャーチル』の順で観ることができてよかった。これが逆だと、なんでこの朝から酒飲んで地下鉄の中で葉巻吸って顔と喉が繋がってるおしゃべりの太ったおっさんは苦悩するんだ?(失礼)と頭をかしげたことでしょう。配給側もそれを意識していたのでしょうか。

 『ダンケルク』が今になって公開された理由の一つに、Brexit を理解させたいクリストファー・ノーランの隠れた意図という噂もありました。『チャーチル』を観て、さもありなんなどと思いを巡らせたり。まだの方はぜひ。でもその前に『ダンケルク』をご覧あれ。

 風に吹かれてルアンパバーンという街に行ってきました。
 一年半前、村上春樹氏の「ラオスにいったい何があるというんですか?」を読み脳みそに要チェックとポストイットしていたところに、バンコクに住む友人がこの街での素敵な滞在記をFacebookにアップしていたのをつい先日見てしまった。ま、引き金が引かれたというしかありません。


 ルアンパバーンは、かつてのラオスの首都。自然とフレンチコロニアルの木造低層住宅がうまく共存していることが評価され、文化的遺跡保護観点から1995年世界遺産に指定されました。ベトナムにある街ごと世界遺産ホイアンにちょっと似ている。違いがあるとすれば、60ほどある寺と、オレンジ色の袈裟をきた僧侶という宗教的要素がアクセントなことでしょうか。

 で。フラリと来たはいいものの、いったいラオスに何があるんだろう。拙宅の妹からもなんで?と問うLINEが送られてきた。
LINE

村上本タイトルの慧眼に脱帽してちびちびビールを飲む私。

 ホテルの人に尋ねると、まずは朝の托鉢(たくはつ)だろうというので、朝5:30に起きて行ってみた。うすら明るいなか、オレンジの袈裟が点線になっている。僧侶が粛々と列をなして歩いていました。
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 ラオス人のおばさんが手のひらでこっちゃこいと呼び寄せるので、これも経験と地元の人の間に座って初めての托鉢にトライ。ゴザをしいて正座。おばさんに渡された籐籠からもち米を片手でひと握りし、僧侶の籠に順番に入れていく、いわゆる喜捨です。見よう見まねでやるのだが意外にこれが難しい。もち米なので米がむっちりくっついている。適量を取り出すのが難しく、大きな塊だったり小さな塊だったり。もたもたしていたら私の前で坊さんが渋滞していた。ごめんなさい。

 一つの寺から20人前後が一つのグループ。次の寺のグループまでしばし休息ができるので、お寿司の一貫よりやや小さめをたくさん作りおいて渋滞が起きないようにしてみました。急にスムーズに喜捨できるようになると、こちらも余裕ができて僧侶の顔を眺めたり、敬意を込めて微笑んでみたのだが、え?何?みたいな顔をされる。その反応をみた隣のおじさんから、目線は下にするようジェスチャーで教育的指導を受けちまいました。ごめんなさい。常識がなくて。こればかりは調べておくべきだったな。下から目線NG。
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           (おじさん、靴下はNIKE)

 約一時間の間に2籠のもち米使用。隣のおじさんに、一回のもち米の塊が大きかったからだろうとジェスチャーで指導される。まあ、少ないより多い分はいいよね。次は完璧ですよ。自信あるもん。あと座って下から喜捨するのは女性だけ。男性は立つか、足の悪い人は椅子に座ってでもいいそうです。

 托鉢後におばさんにもち米代金を請求されました。 なーんだ、商売だったのか(笑)。40000キープ(約700円)。高いのか安いのかよくわからないけれど、一時間ほど無心になってひたすらお米をつまんで気持ちがスーッとしたのは事実。自分が修行することはできないから、僧侶に托鉢をすることで自分の不浄をはらっていただくみたいなことでしょうか。そういえば東京で茶道の稽古をしているときも、無心になれた。
たまには無心になろう。
 
    あ、大事なことを最後に。村上春樹本のタイトルの理由は、村上さんが日本からルアンパバーンに向かうとき、経由地で一泊したハノイにて、ベトナム人から「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問されたことから。

 教訓*上から目線はダメだが、下から目線もダメ。





 


 
 
 
 
 

  

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