7月13日 飛躍と衰退は同時に。

○ブラジルーオランダ 0-3 ブラジリア

○3位決定戦 ブラジルードイツ   1-7 ベロオリゾンテ(7月8日)

 

 ブラジルにいったい何が起きちゃったんだろう。明け方試合を見終わって、いや7月8日ドイツに7-1でブラジルが致命的大敗をくらってからずっと頭の片隅に巣食っていた疑問がむくむく肥大する。このもやもやを放っておくままW杯が終わると気持ちが悪い。2つの仮説を立ててみた。

 2002年13/23。06年3/23,、10年3/23,、14年4/23,。何の数字かおわかりだろうか。ブラジル代表23人中、コリンチャンスやサンパウロ、フラメンゴなど南米のクラブでプレイする選手の割合である。南米所属が13人いた2002年日韓大会で、ブラジルは優勝。この時キラ星のごとく活躍した選手だったジウベルト・シルバはアーセナルへ、カカはACミランへ。そしておばさん頭とちょっぴり出っ歯が愛らしかったロナウジーニョはバルサへと、W杯後ヨーロッパの大クラブへ移籍を遂げる。彼らにとってW杯は、移籍を、大金を手中にするための踏み台だった。

 06年ドイツ、10年南ア、14年ブラジル。3大会ともスター選手を揃えるブラジルだけに下馬評は高かったが、結果を出せずに終わる。上述の数字が示すように殆どの選手がすでに大クラブでプレイしている状態は、もう人参というエサがないことを意味する(因みにネイマールは2013年にサントスからバルサへと移籍済み)。さらに昨今のヨーロッパクラブリーグの強行スケジュールだと、ブラジル代表として顔を突き合わせる時間がない。もともとサッカーはカラダに染み付いた習慣であり考えるものではない(失礼!)彼らからすれば、日頃プレイを見てない同僚たちとチームを組み立てることは難儀だろう。監督がそういうことに得意な人であれば別だけど。

 そこで監督である。今回の監督はスコラーリ。02年はロナウド、リバウド、ロナウジーニョといったファンタジスタを生かした攻撃でブラジルを優勝に導いた名将である。その後ポルトガル代表監督に就任。EURO2004ではチームを準優勝させた。当時のポルトガルにはデコ、ルイコスタ、そして出てきたてのクリスチアーノ・ロナウドがいた。つまり芸術的な技術でボールを操りゲームまで創りだすファンタジスタ、とそれをサポートする選手がいるチームなら彼は指揮をとりやすいわけだ。2008年から09年にかけ、彼はプレミアリーグのチェルシーの監督になる。モウリーニョの戦略、戦術に慣れていた選手たちは、スコラーリの戦略のなさ、練習の単調さに不満を持ち、ドログバやテリーは改善を求める。その後成績悪化からシーズン途中での解任。圧倒的なタレントがいないチームでは、彼は弱い。

 そう考えると、ネイマールを欠いたドイツ戦、オランダ戦でいとも簡単に負けたことがすとんと腑に落ちる。

 ただオランダ戦で3分目のPKはブラジルにとって不幸だった。ロッベンのダイブはペナルティーエリア外だったのに。オスカルのイエローは不運だった。明らかにダレイプリントに足をかけられたのに。終了直前にオランダのGKシレッセンが第3GKフォルムに交代。オランダW杯登録23人全選手出場という思い出作りの舞台にされたこともブラジルにとって屈辱だった。これだけの不幸が重なることもそうあるまい。危機は、よい状態に向かうための機会でもある。数年前のカンヌ広告祭で元アメリカ副大統領がそう言っていたことを思い出した。ブラジルなら大丈夫。ユニフォームを着てベンチ入りしていたネイマールが、次のW杯で頑張ってくれるはずだから。